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ただのアイドル好き専門生🍵

アイドルが好き(℃-ute/ハロプロ)あとディズニーも好き。な専門生です(笑)ほんとつまらんかもだけど見ていってくれたら光栄ですm(_ _)m

6年…

今日は東日本大震災から6年経った3月11日(金)です。

14:46分。地震が起きました。
M9.0という例を見ない大地震でした。
そしてあいにく、6年前のこの日も金曜日でした。
 
私は当時中1で帰りのHRの時間に地震がきました。
この地震が来る前から少し余震が多いなと思っていましたが、いつものことだろうと思いました。
この日もそんな事を思い、一瞬だけ安心していました。
しかし、ほんの10秒くらいでこれは危ない。と初めて命の危機を感じました。
そのとき避難訓練というものをしてよかったと。
いつもはふざけて机の下に隠れない子、友達とふざけあっている子。
あのときは皆一斉に机の下に隠れました。
天井に吊るされているテレビがぐらんぐらんと今にも落ちそうなぐらい揺れている光景。
先生が精一杯「頭を隠して!」という声。
この言葉は一生私の記憶に残るでしょう。
 
地震がおさまり、全校生徒が一斉に校庭に集まりました。その最中で廊下からすすり泣く声が聞こえ思わず涙ぐんでしまいました。それと同時に家にいる愛犬と愛猫の事を考えたら涙が溢れでてきました。
当時家には誰もいなく、2匹だけだったので
なにかあったらどうしよう。と
 
校庭に全校生徒があつまり、校長先生が話をしました。
正直あのとき頭がパニック状態でなにも聞こえていませんでした。
校庭のホースの差し口から水が漏れ、近くの建物の窓ガラスが割れ、これが震災か。と
 
このあと8割方の生徒は徒歩で通学していたので帰宅となりましたが、バス・電車通学の生徒は交通がマヒしていたので親の迎えが来ないと帰れないと言うことになりました。
 
ちょうど皆が帰る時間が16時頃だったので18時頃でしょうか。
すっかり辺りは暗くなって、どんどん迎えがきて生徒が少なくなってきたころ。
やっとお母さんが迎えにきてくれました。
 
そのときその日初めて安心しました。
 
その後バスが動いていないということでお母さんと徒歩で帰ることになりました。
 
私の通学路は途中に橋があり、私の家に行くには橋を渡らないと帰れない場所にありました。
 
2人で怖かったね。と話しながら帰っているといつもならそんな通ってないであろう道に人がいて、行き交うバスは人が満員で乗れないような状態でした。
 
やっとのことで家につき、テレビを見たら東北地方で地震が発生し、後に津波がきたという情報が私の目に入ってきました。そして東京でも震度5強を計測したと。
学校にいたときも同じような報道をしていたなとは思っていたけど、正直嘘だろう。と嘘であってほしいと思っていたのでしょうか。信じられませんでした。
しかし、家でその光景をみて、初めて津波と言うものを見ました。
そして車や家が流されていくのをみてあぁ、これは地震だけではなく震災なのだ。と
 
私がこの日を経験するまでは阪神淡路大震災。というものを知ってはいたものの生まれていなかったので全然分かりませんでした。
しかし自分が生きているうちに東日本大震災というものが起こり震災とはこんなすごいものなんだ。何もかも無くしてしまうものなんだ。と実感しました。
 
私の家はお父さんの書斎がぐちゃぐちゃになっていましたが、誰も怪我をしていませんでした。
食器が割れたりもありませんでした。
しかし、横浜では地割れ、浦安では地盤沈下
そして東北地方では津波
 
ほんの何時間かの出来事で今まで築きあげたものが全てなくなってしまったかの様に思いました。
 
3月11日から半年近くはほぼ震災に関しての報道ばかり流れていました。
また亡くなった方の数が1万人を超えたこと。
地震で亡くなった人より津波で亡くなった人が多かったこと。
他の人を助けようと家まで戻って津波に飲み込まれてしまった人。
車に乗って逃げている最中に津波に襲われた人。逃げたくても逃げれなかった人。
ここなら津波は来ないだろうと思っていた場所にいて飲み込まれてしまった人。
 
どんな時でも自然災害は人の想像を遥かに上回るものなんだろうなと思いました。
ここなら大丈夫。ではダメ。
どんなに遠くても逃げれるところまでは逃げた方がいい。
逃げないという人がいたら無理やり連れてこさせる。
 
次にこの様な震災が起こるのはいつかは分かりません。
起こってほしいものではないですが、いつでも心の準備はしておこうと思います。
 
近いうちに首都直下型地震が起こるとも言われています。津波がきたら東京湾近辺は飲み込まれると思います。
また火災が起きても甚大な被害が出ると思います。
その人数は計り知れないでしょう。
 
その様なとき焦りパニックになってしまわないように対処を考えたいと思いました。
 
震災からまだ6年。もう6年。
それぞれ思う時間は違うと思いますが、年々薄れていくであろうこの日を私は死ぬまで伝えていきたいと思います。
2度とこの様な惨劇が起きないように祈っております。
 
いつもはこんな事書かないですが、私の記憶にずっと残しておきたいが為に書きました。
 
2016年を書くのはおかしいと思いますが、絶対忘れないように書いておきます。
 
東北地方の復興とまだ行方が分からない方々が見つかりますように、これからも出来る限り援助していけたらと思います。
この文は直接は被災された皆さんに届かないでしょうが、心の中で届いていれば良いなと思います。
 
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※拾い画です

 
 
2016.3.11